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学校に「行かなかった」子どもと私の話

みらい教室でいつも笑顔で子どもたちと関わってくれているY先生。

経験はまだまだだけど彼の思いは深い。そんな先生だからこそ気遣ってあげられることもたくさんある。

「何を考えながら子どもに接しているの?」という疑問から書いてもらったのが下記のモノ。

読んでくださった方にも少しでも響くものがあれば幸いです。

 

入社して初めて担当したのが週1回1時間だけ学校に行っている中学生の生徒だった。

事前資料を読み、他の指導員にその子についての話を聞くなどしてある程度の情報を把握 していたが実際に対面して話をしないと、どのような子どもなのかは分からないと感じた。

日の浅いうちは様子見をしながらお互いにどんな人なのかを探りあっていたように思う。 ただその中でなぜ学校に行かない・行けないかについてはあまり興味を持たないようにし た。

それよりもその子自身がどのような考えを持っているか、好きなこと、嫌いなこと普段何をしているかなどをたくさん聞いた。

単純にその方が話していてお互い楽しいし気楽だった。

そういった他愛のない話の中で最近気になる事や悩んでいる事を少しずつだけれども打ち明けてくれるようになっていった。

普段の授業では特に勉強を教えることはなかったし学校にも行けとは言わなかった。

学校に行った方がいい、勉強をした方がいいということは誰でも皆漠然と知っているだろうから言う必要はないなと思った。

また特に勉強がしたくなさそうなときには、ただひたすらだらだらと話すだけのときもあった。

得体のしれない大人よりも、ある程度知れた人の方が 言いにくいことでも話しやすいのかなと思い自分自身の話もするようにした。

その時には自分もあまり中学2年生の時は学校に行かなかったときのことや、興味のあるバイトの話、多分その子が興味ないであろうどうでもいい話などいろいろな話をした。

その関わりがきっかけなのか分からないが、「普通の学園生活をすごしてみたい。

友達と話したり遊んだりしたいから新学年から行きたい。」という思いを話してくれた。

目標の学校に行くことが達成できてからは表情も明るく楽しそうに学校での話をしてくれることもあった。

けれども、日を重ねるごとに前々から言っていた沢山の不安が少しずつ現実になって体力的にも気持ち的にもしんどそうであった。

その不安には、朝起きられるか心配だ、勉強面で追いつけない、友達とどう話したらいいかわからないなどと明確な理由もあったが、その他の自分では言い表せない不安や心配がたくさんあってどう解決していいわからず気持ちがしんどくなったと話してくれた。

その時には別に無理して学校に行く必要もないし、行ってもしんどければ途中で早退すればいいと話した。

不安材料は無くすことが大切であると思っていたけれども、無くすことが無理ならば諦めてまた違うことを考える方が楽だし楽しいし、今その子にとって必要なことなのかなと思った。

それでも彼なりの目標があったので休みながらではあるが学校には何とか行くという感じ であった。

GWが終わったころには学校に行くモチベーションが完全になくなってしまったがそれでも家族で話し合いをして別室登校で午前中に学校へ行くということを決めて頑張っている。

そして今は今後何をしてみたいかなどについて2人でああやこうや笑いながら話したりしている。

自分の体験や考えを話すのは難しいらしく、ぎこちない会話にはなってしまうが、その時はじめてその子自身の本当の笑顔を見られたのではないかと感じた。

今までの話の中で何を理由にして学校に行けるようになったかはわからないし、その理由 がわかったと感じてもそれはただの後付けでしかないなと思う。

私は他の先生に色々話を聞いてもらい、意見をもらえたことが一番大きな支えになった。

私一人で考えてできる凝り固まった思考で行う支援には何の意味があるのだろうと疑問が浮かんだからだ。

また子どもたちに、勉強や何に対してすべて絶対こうしなければいけないということはない。いろいろな考え方や意見を持つ大切さが少しでも伝わればいいかなと思う。

結果、学校に行けたことだけが事実で、たまたま半年くらい仲良く話していた子がたまたま学校に少し行く気になって行っただけの話でまとまる。

指導したから学校に行くようになったわけではないし、目標を見つけたわけではない。

その子どもが答えらしきものを自ら発見しただけだ。

大人が出来ることはそれに対する手助けだけであって、答えをあげてもすぐに飽きて捨ててしまうだろうなと思う。

子どもに対して支援の答えはないと思うが強いていうならば、今のある程度何でも相談が 出来て冗談も言い合える関係が築けていなければ、ここにも学校にも「行く」という意思を持つことはなかったのではないかなと思う。

そうであれば、私が彼にとって存在する意味とは「会話」を続けることにあると思う。

これからも日常にあるささいな話や、昨日あった楽しいことの話、時には嫌な話をしないといけない時もあるかもしれない。

それでも私はその会話のなかで彼に寄り添い、彼のために、彼を応援し続けたいと思う。

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