不登校漂流記 第5回:「学校へ行こう」と決めた日
2018年6月20日 : コラム
【1話から読む】
高校生活二日目の転機。
ギリギリで高校に進学した私は、入学式に参加していました。
中学生の時も入学式だけは出ることができていました。だから今日行けたからといって明日も行けるとは限りません。それは私自身もよく分かっていました。入学式はつつがなく進んでいき、ぼんやりしたまま終わっていきました。
入学式に参加した疲れでぐっすり眠った私は、翌朝も何とか起き上がることができました。電車に乗って通学し、1回目のホームルームがありました。ミックスホームルームという形で、2年生と同じ教室でホームルームを受けました。
上級生からの「おはよう!」という言葉に小さい声で返事をすると「席は自由だから、好きなところ座って」と教えてくれました。先輩たちは後ろのほうの席に座っていて、一年生が前のほうの好きな席に座れるように整えてくれていました。席も一席ずつ離れているのですぐ隣が上級生だとか、知らない人だということはなく、一人だけの空間が作れるようになっていました。
私は一番窓側の席に座って待っていると、チャイムが鳴りました。
担任の先生と、副担任の先生が一人ずつ入ってきて、それぞれ自己紹介を終えました。
「じゃあ、これからみんなにも自己紹介をしてもらいます。やりたい人?」
シーン、と教室が静かになりました。
過去の自分と、今日がつながる。
ふと、小学生の時のことを思い出しました。学校に行けなくなる少し前くらい。教室で答えるとき、クラブのリーダーを決めるとき、だんだん手が上がらなくなっていった自分の姿が浮かびました。
手を挙げたいのに、挙げられなかった。次こそは、次こそはと思っているうちに、私は学校に行くのをやめてしまいました。
『今、またチャンスが来た』
バチッと、音を立てて、学校に行かなくなった最後の日と、学校に登校した今日という日がつながったように思えました。自信がなくて毎日おびえていた不登校の自分の中から目立ちたがり屋な私がよみがえってきました。
私はうつむいたまま。まっすぐ右手をあげました。
後ろから先輩方が「おぉ! 行け行け!」と声をかけてくれました。私はその声に背中を押されながら、前に出てクラスを見ました。
20人くらいだったでしょうか。思ったよりも少ないな。というのが率直な感想でした。
「私の名前は○○と言います」
久しぶりに、大きな声を出しました。
何を言ったのかほとんどわからない自己紹介を終えて席に座りました。
私の後に続いて、次々とクラスメイトが自己紹介をしてきます。
一人ひとりが、自己紹介と好きな食べ物と、読んでほしい自分のニックネームを言っていきました。その時ようやく私も、どうやら何か好きな食べ物とニックネームを言ったらしいとわかってきました。
先輩も含めたクラスメイト全員が自己紹介を終えると、私はようやく「自分は学校に行くことを選んだ」という意識が芽生えました。
人生で初めて「数年先のことを自分で決める」という体験をしたのです。
今から3年間、学校に行く。この決断は私の人生に大きく影響を与えることになりました。
『不登校』という右も左もわからない真っ暗な海の漂流は終わりを迎えようとしていました。
体を動かすのは大事です。
さて、ちょっといい感じに文章をしめることができたので、最後に登校を始めて早々に困ったことだけお伝えして不登校漂流記を終わろうと思います。
決意を固めた後も順風満帆とはいきませんでした、やはり体が動きません。
「行きたいのに行けない」という悩みは中学時代と同じでしたが、今回ばかりは答えが明確でした。
体力が、無い。
3年間ほとんど全く運動をしなかった体というのは大変貧弱なもので、一日学校に行くと泥のように眠ってしまいます。最初の登校日など、本当によく行けたなと思いました。それから、1日行っては、1日休むというサイクルを繰り返しながら徐々に学校へ行けるようになりました。
高校1年生の時は、全体の半分程度の日数だけ登校していましたが、2年生の時は休む回数もまばらになっていきました。3年生になると、風邪を引いたとき以外は休むことはなくなりました。高校3年間で得たものの一つは「体力」だったと思います。
おわりに
原因不明の頭痛から始まった不登校時代は、引きこもる前に手を挙げられなかった悔しさを思い出すことで終わりを迎えました。でも、最近になって当時を思い返すと私はただ単に悔しかったから手を挙げることができたわけではない、と思えるのです。
悔しさをバネにする。という言葉がありますが、それはちょっと違うのではないかと思っています。悔しさはバネを上から押しつぶす力です。では、肝心のバネは何なのかというと「すっごいうれしかった経験」なのではないかと私は思っています。
私は元々目立ちたがり屋で、よくわからないままとりあえず手をあげているような子供でした。
「幼稚園のお遊戯会、主役がスイカなんだけどやりたい人?」という意味の分からない提案に「はーい」と手をあげる子供でした。
そして「スイカの役になった」と言われたとき、両親はとても喜んでくれましたし、スイカダンスを延々見せ続けても手拍子して応援してくれました。私にとって、バネはその体験だったのだと思います。
私が高校に入ってから最初のホームルームで手をあげることができたのは、悔しかったこと以上に、できる自分を知っていたからです。めちゃめちゃうれしかったことがあったから、悔しさに押しつぶされてもバネのように飛び上がれたのだと今は思っています。
これで、不登校漂流記はおしまいです。不登校ではなくなった私のお話は、また別の機会に。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
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著者:キッチンタイマー
1995年6月11日生まれ。モノ書き。中学3年間の引きこもりを経て、現在は発達障害の子どもたちを支援する塾で働いている。明日のこと、もとい3分後のことすらろくに想像ができない。基本的に人に興味はないが、なぜか彼女がいる。アクティブ系コミュ障のため人と会話をすると必ず論点を見誤ってしまう。珈琲が飲めない。苦いものが全般的に苦手。甘いものが大好き。現在はwebサイト「note」にてエッセイを投稿中。
受賞歴:第5回PHP大賞『大賞』、志布志市志コンテスト『特別賞』、
https://note.mu/kitatani293
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